「今日の木部くん」第一回目は、あらためて自己紹介をさせてください。木部伸治、1972年12月生まれ、今月で51歳になります。沖縄では「ねずみ」のことを「えんちゅ」というのですが、僕は干支もねずみです。リールやYouTubeでも、これから「えんちゅ」という言葉が出てくると思うので、覚えておいてもらえると嬉しいです。

プロフィール

出身は大阪市。仕事はもちろんカメラマンです。好きな食べ物はオムライス、好きな飲み物はメロンソーダ。子供っぽいと言われることもありますが、これは昔から変わりません。

サッカー少年だった小学生〜高校時代

小学4年生から高校卒業まで、ずっとサッカーをしていました。小学生の頃は放課後に友達とサッカー。グラウンドが空いていない時はコンクリートの上でボールを蹴っていたので、転ぶたびに膝や太ももの横がすりむけていました。

中学は本当は野球部に入るつもりだったのですが、卒業した兄のサッカー部の後輩に入部説明会へ連れて行かれ、そのままサッカー部に入部することになりました。3年生が引退したあと試合に出してもらえるようになり、2年生の時には大阪市でベスト8まで勝ち進んだこともあります。

当時はとにかく体が小さくて、身長は158cmくらいしかありませんでした。それが中学3年生の途中で一気に173cmまで伸びて、学校を休んでも部活だけは休まないような子でした。高校でも夏休み明けにサッカー部に入部し、卒業まで続けました。卒業後は高校の友達に誘われて社会人チームでも休日にサッカーを続けていたのですが、阪神大震災でチームがなくなってしまいました。

2010年、沖縄へ完全移住

2000年から月に1〜2回のペースで沖縄と大阪を行き来し、2010年に完全に移住しました。初めて見た沖縄の青い海には本当に感動しました。大阪にいた頃から海は大好きで、冬以外はしょっちゅう海に行っていたのですが、同じ日本の海とは思えないほどの美しさでした。

寒さが苦手だったので、「沖縄は常夏だから年中半袖で過ごせる」と思い込んでいたのですが、これは大きな勘違いでした。初めて沖縄に来た12月、強風と雨の日に、出張先のクライアントさんが担当者変更の歓迎会を開いてくれたことがあります。待ち合わせに30分過ぎても現れないので「場所を間違えたかな」と半袖のままブルブル震えていたのを今でも覚えています。

コーチング講師からブライダルサロン経営へ

沖縄に移住してからは、コミュニケーション系のコーチング講師として生計を立てていました。この頃は年中スーツかジャケットにパンツという格好で、複数の場所で講義をしながらテキストやプランも自分で作っていたので、寝る時間がほとんどなく、大好きな海にもなかなか行けない日々を過ごしていました。

そのうち会社を立ち上げることになり、法人を設立。人材育成とブライダルの事業を手がけ、ブライダルサロンを作りました。ただ、チャペルを持たない会社だったため、紹介や送客が中心となり、なかなか仕事は増えませんでした。当時はまだ沖縄リゾートウェディング自体がこれからという時期で、観光客の来沖もこれからという段階。サロンは正直、暇な時期が長く続きました。数多く揃えていたドレスたちも、出番を待ちながら眠っていましたね。

カメラとの出会い、そして撮影専門への転身

カメラに触れ始めたのは10歳の頃、もしかするともっと前だったかもしれません。父がレンズ会社に勤めていてカメラを扱っていたので、フィルムカメラを触らせてもらったのがきっかけです。あのシャッター音がたまらなく好きで、そこからすっかりハマってしまいました。

そう考えると、今メインで使っているカメラもシャッター音がとても大きく、機械的な音が鳴るモデルを選んでいるのは、昔からの好みがそのまま続いているんだなと自分でも気づかされます。

そして、ブライダルサロンでのお客様の紹介・送客業務をやめて、撮影専門に切り替えることを決めました。それまでは趣味だったカメラを、そこから本格的に学び直しました。毎日カメラを持ち歩き、日々テーマを決めて撮影し、ストロボにもハマり、持ち歩く機材はどんどん増えていきました。今でも荷物の重さや量はまったく気になりません。

そんな流れを経て、カメラマンという仕事が今の本業になりました。日々、楽しみながらカメラと向き合えていることに、あらためて感謝しています。

次回予告

木部伸治 日常の一コマ

自己紹介が長くなってしまったので、今回はここまでにします。次回は「どんなカメラマンなのか」について書こうと思います。たぶん、そちらのほうが皆さんにとって大事な話になる気がしています。